高校の時に仲の良かった友達ともう2年以上連絡を取っていないことに気付いた。

いまの僕は多かれ少なかれ彼に影響を受けていると思う。社会に対して懐疑的というか厭世的な態度、そういった面は特に。もちろん元から僕はそういう人間でそういう素質を持っていたのだが、彼との関わりの中でよりそういうことに自覚的になっていったと思う。

連絡を取ろうと思えばすぐに取れるのだ。彼のメールアドレスは知っている。「ご無沙汰!」とメッセージを送ればよいだけの話だ。

でも、その勇気が僕にはない。勇気…とは違うかもしれない、意欲か。ともかく、一歩踏み出すことができない。

しかし彼に連絡してなにを語るのだろう。

“大学生活はどうか?” “なにか変わったことはあったか?” “今度また会おうよ”

どれも違う。僕は彼となにを話したいのだろう。

僕は本当に彼とまた連絡を取りたいのだろうか。あるいは、連絡をして返信が来なかったら……メルアドがとっくに変更されていたら……。

そもそも、どうして彼との関係が途切れてしまったのだったろうか。

たしか、彼がTwitterを辞めたからだ。僕らは相互フォローだったから大学に入ってもTwitter上で互いの活動を眺めあっていた。でも、いつしか彼はツイートの投稿をしなくなったのだ。

どうして彼は辞めたのだろうか。単に面倒くさくなったから?飽きてしまったのだろうか。しかし、もし僕が原因だったら……。

相手との関係に溝ができた場合、僕はなにかと「自分になにか否があるんじゃないか?」と疑い悩み、それに疲れると今度は「こんな思いをさせる相手が憎い」と逆上し、「どうでもいいや」と一旦冷めては、また自分の行動を振り返るというサイクルを辿りがちだ。救いようのない螺旋構造に迷い込んでしまう。

そこから脱するには他人の手助けがおそらく必要だ。おそらくは相手と対話するのが最善の解決策だろう。僕は一人で悩んでいても感情をうまく処理することはできないのは、これまで20年以上を生きてきた経験則からなんとなく察することはできる。

でもそれをする勇気、もとい意欲はない。一人で悩む習慣が僕の生活に染みこんでしまった。出口のない迷路を一人で彷徨うのはもうたくさんな筈なのに、全くもってどうしようもないと思う。