新幹線に乗っていて暇なので久しぶりにブログでも書く。

 

最近映画をよく見に行っている。と言ってもせいぜい月に1回程度だが。

 

このまえ新宿のシネマカリテという劇場で『PK』という作品を見た。普段TOHOシネマばかりで観ているので小さな劇場で見るのは新鮮な気分だった。肝心の作品もなかなかに面白くていいリフレッシュになった。

 

ところで、私は近頃、映画を見に行く際に必ずと言っていいほど事前にレビューサイトを覗いてから向かう。おおむね評価が3.5くらいないと、原作既読だとかキャストが好きだとかいう理由がない限り、観に行こうという気にならない。

 

作品に対してこうした態度を取るのはなんというか“不誠実”な気がするが、一方で、同額を支払うのならばどうせならいい作品に触れたいと思うのは当然ではないか、という思いがある。

 

私は同級生たちと話していて、自分がいわゆる“名作”や“名曲”のようなものを全然知らないことに気づいた。たしかに、思い返してみれば私は週刊少年ジャンプすら買ったことがないので、ワンピースもドラゴンボールも分からないし、曲もあんまり聴かないので流行りのJ-POPも分からない。そういったところで会話の機会を多く逃してきたのがいまとなっては勿体ないなと感じた。

 

同様に、自分の“遊び”に関してもとても保守的(という表現が正しいのか分からないが)だと感じた。休日の遊びといえばせいぜい一人で新宿御苑をウロウロして『言の葉の庭』を思い出してニヤニヤするくらい…いかにもオタクが的な楽しみしかない。

 

ところで、根暗オタクは迫害される。これは疑いようのない真実だと思っている。皆さんも自分や身の回りの人間を見てそう感じないだろうか?

 

最近、Twitterなどでオタクの立場が向上しているような錯覚に陥っている人間がいるが、彼らはオタクの皮を被った、“ただの一般人”だ。

 

根の暗いオタクは、大人数のオフ会を企画しないし、アニメキャラクターのプリントされたTシャツを着てイベントに参加しないし、学園祭で訳のわからない出し物をしてワイワイしない。彼らはアニメや漫画を利用して、友達や彼氏彼女をつくり楽しんでいる“”一般の方”なのである。

 

そういった発見から、最近はより良い作品に触れてオタク的感性をある程度捨てて、まともな感性を磨きたいという思いが強くなってきている。映画や曲だけでなく、小説や絵画にもたくさん触れたい……。

 

また、出来るだけオタクっぽくないことをしたいと思っている。迫害はやはり受けたくないから。誰だってそうだ。

 

私は海外旅行にも行ってやるし見た目にも気を付けてやるし風俗にも行ってやるし渋谷のクラブにも定期的に行ってやる。「なにもしないのが一番よくない」というのはこれまでの経験で身をもって知ることのできた真実だ。

 

余裕のある時間が残り少ないなかでどれだけ出来るかは分からないし、私のこれまでの経験上だいたいなにも出来ずに終わってしまうが、やれることだけでもやりたいし、やり続けたい。根暗オタク的感性はいつかきっと社会に潰される。社会なんかに負けたくない。